今日は、山田詠美さんの『僕は勉強ができない』です。(再掲)
大人であればあるほど、響くものがある一冊でした。
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目次
どんな本か
- 「世間に染まれない中学生が社会とのかかわり方を学んで行く」
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勉強ができないが女にはモテる高校生、秀美
高校生の秀美は父親がおらず母仁子と祖母隆一郎の3人ぐらし。
仁子は派手な化粧をして夜に気になる男を遊びに行く。隆一郎は散歩の途中に会うおばあちゃんにしょっちゅう恋をして声をかける。
そんな環境で育つ秀美は、女性にモテる。だが勉強ができない。勉強よりも大事なことがあることを知っている。
秀美はバイト先の年上、桃子さんとお付き合い中。
素敵な表現が多い
以下、素敵だと思った表現。
しかしね。僕は思うのだ。どんなに成績が良くて、りっぱなことを言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする。女にもてないという事実の前には、どんなごたいそうな台詞も色あせるように思うのだ。
何故、人間は、悩むのだろう。いつか役立つからだろうか。だとしたら、役立てるということを学んで行かなくてはならない。しかし、後に役立つ程の悩みなんて、あるのだろうか
そりゃ、確かに、はた迷惑な奴だ。女の子のナイトになれない奴が、いくら知識を身につけても無駄なことである
秀美は「いい顔」であることや女にもてることの大切さを知っている。
いい顔をしていない奴の書くものは、どうも信用がならないのだ。へっ、こーんな難しいこと言っちゃって、でも、おまえ女にもてないだろ。一体、何度、そう呟いたことか。しかし、いい顔をした人物の書く文章はたいていおもしろい。その反対は必ずしもなりたたないのが残念なところである。
秀美の頭のなかは面白い。
小難しいことで頭を悩ませているのは、どこも痛くないからだろう。黒川さんみたいに、貧血症でもなく、ぼくんちみたいに貧乏でもない。実際に不幸が降りかかって来ていない証拠みたいなもんじゃないかちなみに秀美の家が貧乏なのは、母親が過度にオシャレに金をかけているからなのも面白い。しかも秀美はそんな母のお気楽さによく救われているのである。
いくら物事に無頓着なぼくでも、時折、道に迷ったように、困ってしまうことがある。そんな時、母の言葉は、ぼくを安心させるのだ。冗談めいた道標が、ぼくをいじけさせずに、ここまで歩いて来させた。悩むほどのことじゃない。ぼくは、ある種の困難にぶつかると、いつも自分にこう言い聞かせて、切り抜けて来たのだ。もしかしたら、本当に、ぼくには、あらゆる可能性が宿っているのかもしれない。そう思うだけで、風呂の湯は、いっそう肌に、あたたかく、やさしい。
ぼくは、心のうちに、段々、意地悪な気持が湧いてくるのを感じた。ぼくは、小さい頃から、相手が激怒すると、妙に冷静にその人と向かい合う癖がある。思い起こしてみると、ぼくが、そういう状態になるのは、佐藤先生のような人間を前にした場合が多い。つまり、事実を自分勝手に解釈して、それの認識を他者を使って行う人々だ、自分は、こう思う。そのことだけでは満足出来ずに人の賛同を得ようとする種類の人間たち。その人々は、自分の論理を組み立てた結果意外のものを認めない。どんな論理にも隙間があるのを信じようとしない。隙なく組まれたものが、ある時には、呆気なく崩れてしまうというのを知らないのだ。
意地悪な感覚が湧き上がることはとくあるが、この感情をいい方向に使えば、頭は冷静に俯瞰した状態で良い判断できると思う。
しかし、彼らの態度は、反対にぼくの気分を軽くするのも事実だ。病人にとって大切なあのは、その病気が取るに足りないものであると悟られてくれる周囲の無関心かもしれないなあと思ったりするのだ。
ぼくが眠りこけている間に春一番は、通り過ぎてしまったらしい。惜しいことをした。ぼくは、あの春の風が好きなのだ。甘い埃の匂いが鼻をかすめる瞬間がたまらない。だって、何故だか、内側から体が暖かくなる。全身が、寒暖計のようになり、血液が上にのぼるように感じるのは、ぼくだけだろうか。
ぼくは、その夜なかなか寝つかれなかった。高校に入学した時、ぼくは、迷ったりなどしなかった。そんなことで悩むには、夢中になるべき事柄が多過ぎた。人間関係は、今よりも重大事であったし、自分が何をして来たかや、自分が何をすべきかということを考える前に色々なことが訪れていた。ぼくの時間は、自らの歩幅と同じように歩いていたのだ。桃子さんの言葉を借りれば、まさに、ぼくは、体にぴたりと合う衣服を身につけて成長していたのだ。
ひずみが出来たのだ。ぼくは、今、そう感じていた。自分自身とそれを包むものの間にある空気が明らか膨張しているのだ。どうして、それを埋めることが出来るのだろう。ぼくを悩ませる重苦しい空気の覆いは、掃除機などで吸い込める類のものではない。ぼくは、そのことに気付いている。バキュームをかけて、そこを真空状態にする。そうして気付かないという行為を能動的にやってのけている者たちがいることも知っている。悩んだりしたって良いじゃないか、とぼくは胸を張れない。黒川礼子が指摘するまでもなく。それがある種の鼻持ちならないことであるというのを、ぼくは直感で感じ取っているのだ。
それは大きな悲しみというより。ひとり分の空間が出来ることへの虚しさを呼び覚ます。人間そのものよりも。その人間が作り上げた空気の方が、ぼくの体には馴染みが深い。笑いや怒りやそれの作り出す空気の流れは、どれ程、他人の皮膚に実感をあたえることか。多くの人は、それを失うことを惜しんで死を悼む。
環境のせいで、いじけているのなら可愛らしい。けれど、秀美には、そういった子供の使命のような暗さの欠片もないのだ。同情をそそらない子供を、彼は愛することが出来ないと思う。世の中には、手首をすりむいただけで、大人の気持ちを握りしめるいたいけな子供たちがいるというのに。弱い者をいたわりたいという願望を心地良くみたしてくれる小さな人間が、そこかしこに待ち受けているというのに。
彼らは従うことが、どれ程、学校での生活を快適にするかという知恵を身につけていた。両親の口振り、特に母親のそれは、教師の領域を犯してはいけないのを、子供たちに悟らせているのだった。そこに、「尊敬に値いするもの」というラベルの扱い方を、上手い具合に組み込んでいた。それ故、子供たちはそのラベルを剥がすのが、自分に困難をもたらすことに等しいと、本能的に悟っていた。
打ち消して、それでも、まだ溢れて来る力強さを、保護者の二人から感じていた。そう思うと、学校での出来事など、取るに足りないことのようにすら思えて来る。彼は、自分の帰る場所に存在している大人たちから、自分の困難が、成長と共に減って行くであろうことを予測していた。それは、時間の流れに沿って泳いで行けば、たちまち、同種の人間たちに出会うことだろうという確信に近いものをもたらした。
濡れた頬に当たる畳の目は、どこまでも続くように思えたし、その行き着く先では、祖父の胡坐が感情を受け止めてくれるのを彼は知っていた。愛情という言葉は彼は、まだ知らなかったが、安心して自分自身を憎めると思えるのは、常に肉親が見守る範囲内で行動するからであると気付いていた。
秀美は、登校し。昇降口で靴を脱いだ瞬間から、自分を包んでいる奇妙な空気に気付いていた。何か真新しいものが自分に向かって押し寄せているように感じたのだ。たとえば。冬の終わりに吹いた一瞬の風で、春の訪れを悟ってしまうように、下駄箱で、すれ違った級友の視線だけで、自分を取り巻くものが。それまでとは異なっていることにを知ったのであった。
それは、子供達全員が秀美を好きになったということではない。むしろ、好きになるか、嫌いになるかという選択肢を期限なしに自分たちの目の前に置いたことに似ている。それは、選び取らなくてもかまわないものであり。それ故に、彼らは新しい気楽さを手にしたものの喜びを味わうことが出来るのである。受け入れないと決意することには、ある種の重荷がつきまとう。そのことを常に、意識しなくてはならないからだ。そこから解放された子供たちは、秀美を容易く扱うことを覚え気を楽にする。
「同じなんです。お父さんがいないって思うために心が痛いってのと。先生、三角形の三つの角を足すと百八十度になるでしょ。まっすぐです。痛い角が三つ集まるとまっすぐになれるんです。六つ集まったら、三百六十度になるんだ。まん丸です。もう痛い角は失ってしまうんです。ぼくとか赤間さんとかは、もう一個目の角を持っているんだ。他の人よか早く、まっすぐまん丸になれるんです。まん丸ってすごいですよ。だって地球は本当は丸いんだぜ。」
あとがきより
私の心は、ある時、高校生に戻る。あの時と同じように、自分のつたなさを嫌悪したり、他愛のないことに感動したりする。そんな時、進歩のない自分に驚くと共に人には決して進歩しない領域があるものだと改めて思ったりする。そこで気付くのだが、私はこの本で。決して進歩しない、そして、進歩しなくても良い領域を書きたかったのだと思う。大人になるとは、進歩することより、むしろ進歩させるべきでない領域をすることだ。
まとめ
仕事が忙しくなったとき、何のために頑張っているのか分からなくなったとき、悩んだ時に読み返したいです。
秀美の考え方を忘れないようにします。
ちなみにnotionに読みたい本や読んだ記事にまとめています。こちらもよかったらご覧ください。