今日は、隈 研吾 (著), 山口 由美 (著)の『熱帯建築家: ジェフリー・バワの冒険』です。
ジェフリー・バワ設計の建築や彼の生い立ちなど、バワについての情報量がバランスよく盛り込まれており、写真も豊富に使われているので彼について知りたい方にはオススメできる一冊でした。
著者の考察、バワ建築の14のホテルの写真と説明、バワの生涯というような構成になっています。
目次
この本で分かること
世界的建築家・隈研吾が読み解き、バワ作品に魅せられた
旅行作家。山口由美氏が14のホテルとヴィラを徹底取材、バワの素顔にも迫る。
バワ建築の見方、歩き方、楽しみ方を紹介する、日本初のガイドブックの誕生!
どういう生い立ちが影響して異質なバワ建築が生まれるようになったのかという視点があるのがとても面白かった。
読む目的
- 「自然を建築に取り込むジェフリーバワについて知るため」
私は自然や建物の外と中のあいだの空間に興味があり、(私の生い立ちが影響していると考えています)、そういった建築を作っていた人がいないか探していた時に、半田悠人さんのInstagramでジェフリーバワという建築家の存在を知った。
半田さんもジェフリーバワについて敬愛する人物だと表現しており、興味を持つきっかけとなった。
このブログでは、建築設計を軸に世の中により豊かな瞬間を増やす為に、2025年から空間づくりを学びに再進学する予定の一般会社員が将来、活躍していく為に学んだことを記録しています。
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庭の時代
バワ建築といえば自然を活かした空間や庭の存在ですが、そもそも庭という概念はどのように作られていったか、インタビューで隈研吾が以下のように語っている。
かつてのイギリス人はいくら良い建築をつくろうとも、所詮庭の上のパビリオンだという認識で土地所有の明確化、エンクロージャーの時代が始まった。
土地のほうが人々にとって価値のあるものだった。
そして、価値ある自分の土地を美しく飾りたいという思いが始まり、十八世紀の風景式庭園がはじまる。
ルネサンスという「建築の時代」のあとに、「庭の時代」という、一種の成熟が訪れたわけです。
p.8
二十世紀においても同じ転換があり、モダニズム建築が「建築の時代」を牽引しその後「庭の時代」が訪れた。そのきっかけを作ったのがアメリカの建築家フィリップ・ジョンソン。
ジョンソンはミースのアメリカ化ではなく、ミース建築を「庭園化」した。
ガラスの家は二十世紀建築における決定的な転換点を示しているとのこと。
そして、このガラスの家は駄作であると言われている。
理由は、庭という圧倒的な価値を見せる為の装飾物としての建築となっており、あくまで装飾品のような役割をしているから。
ジョンソンはアメリカという場所にいたことでモダニズム建築的な数学や建築をという制度から抜け出すことができなかった。
ここでジョンソンのあとに、「庭の時代」を決定的にしたのがバワであると隈研吾氏は言及されている。
バワは法律を学び弁護士であったし建築は趣味としてはじめ、スリランカという西欧ではない国にいたので、建築の「外」にいた人間であったため、「建築の時代」に終止符を打てたのだ。
ジェットウイングライトハウス
このホテルで有名なのが、この海が眺めながら食事も可能なエリアである。
めちゃくちゃ好きな雰囲気。
ヘリタンスカンダラマ
バワの建築のほとんどがビーチリゾートにあるが、唯一ヘリタンスカンダラマは内陸部に位置しており、木々の豊かな岩山と同化するかのように建っている。
海の近くでも内陸部でも表現していることは同じように感じる。
ジェットウイングラグーン
1階部分は壁のないオープンなスペースのリビングとなっており、バワの建築ではリラックスできるスペースを屋外に設けるということが多いみたい。
ベントータビーチホテル
ベントータという地域にはバワの初期作品が集中するエリアで、彼の建築家としての方向性を決定づけた代表作が、ベントータ・ビーチ・ホテル。
ここのホテルはプールサイドからの外観が圧巻。
アヴァニベントタリゾート&スパ
ヘリタンスアフンガラ
バワと言えば、今やシンガポールのホテルから日本の露天風呂までに見られるインフィニティプールを発案したことで有名。
そのインフィニティプールがもっとも有名になったのが、ヘリタンスアフンガラ。
ザブルーウォーター
ホテルではバワ最後の作品。
椰子の木が印象的に用いられている。
ザ・セブン・スピリチュアル・リゾート・アット・バワハウス
バワとアマンリゾートの創業者は面識があり、創業者のエイドリアン・ゼッカの別荘を改装した建築家が最初のアマンのホテルを設計した。
エイドリアン・ゼッカのお気に入りのバワ作品はザ・セブン・スピリチュアル・リゾート・アット・バワハウスらしい。
レッドクリフス
レッドクリフスはバワが1997年に脳梗塞の発作をおこして倒れた日に現場監督に出かけていた場所で、生涯で最後に現場で指揮を執った作品となります。
世界遺産とバワの代表作、ライトハウスのあるゴールからさらに南へ。美しい入り江の広がる町、ミリッサは、閑静なリゾート地。その断崖絶壁の上に建つのがレッドクリフスだ。
レッド・クリフスとは、朝晩の光で崖が赤く染まることからつけられた。
この別荘の依頼者はスリランカの第二代大統領ジェニウス・リチャード・ジャヤワルダナの孫。
1951年(昭和二十六年)のサンフランシスコ講和会議で、一部の戦勝国が日本に厳しい賠償請求や制裁を用意しており、旧ソ連は日本を朝鮮半島や旧ドイツのように四つにする案を提案した。
ジャヤワルダナは、そこで
「憎しみは、憎しむことによって消えることはない。ただ愛することによって消えるのだ」
と発言し、危機を救い日本の国際社会復帰の手助けをしたのである。
この別荘のリビングも半屋外となっており、半地下に居住スペースがある。
インフィニティプールもある。
バワについて 山口由美
バワはその生い立ちが少し特徴的で一言でまとめると、欧州とスリランカにルーツを持ち、裕福で、弁護士をしていたところから建築家を目指した。
本当はイタリアに身を置きたかったみたいなのだが、資金面等が理由でセイロンに落ち着くようになった。
感想
バワの建築は生い立ちが建築家として王道でなかったからこそ、自由な発想で庭を飾ることができたことを知りました。
スリランカと欧州の両方にルーツを持ち、法律を学び、同性愛者でもあった、人と異なる環境だったからこそ、特徴的な建築家として知られているのでしょう。
バワについて知りたい人は是非手に取ってみてください!