今日は、ヴィクトール・E・フランクル (著), 池田 香代子 (翻訳)の『夜と霧 新版』です。
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ベストセラー1位 – カテゴリ ドイツ・オーストリア史
目次
この本で分かること
- 「強制収容者の精神状態を被収容経験者で心理学者の著者が分析」
本書は被収容者の中で優秀なものがどうやって生き延びるたかというものではなく、普通の収容者の受難を心理学的な目線を交えて描かれている。
強制収容所についての事実報告はすでにありあまるほど発表されている。したがって、事実についてはひとりの人間がほんとうにこういう経験をしたのだということを裏づけるためにだけふれることにして、ここでは、そうした経験を心理学の立場から解明してみようと思う。
読む目的
- 「収容所でも生きる希望を失わない人間はどういう内面を持っていたのかを知る」
- 「体験しえない世界を知ることで世の中の広さを知る」
リンク
カポー
カポーは優秀なものからだけでなく、劣悪者を下から選ぶ選抜があった。選ばれるものはサディストで暴力も盗みも平気で行うことが出来る。
被収容者のなかには「カポ」と呼ばれる裏切り者、ナチスの協力者もいた。 同じユダヤ人でありながら、ほかの被収容者の監視役としてナチスに特別待遇されていた卑劣な連中だ。
https://toyokeizai.net/articles/-/452534?display=b#:~:text=%E8%A2%AB%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E8%80%85%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%AF,%E3%81%9F%E5%8D%91%E5%8A%A3%E3%81%AA%E9%80%A3%E4%B8%AD%E3%81%A0%E3%80%82
煙草とスープ
収容者はいい働きをすると褒状をもらうことができた。褒状1枚つき6本の煙草、その煙草は1本あたり1杯スープに物々交換できた。
そのほかのすべてのふつうの被収容者が煙草をたしなむことは、褒状、つまり生命を危険にさらしてよぶんは働いた功績によって手に入れた煙草はを食料と交換することを断念し、生き延びることを断念して捨て鉢になり、人生最後の日々を思いのままに「楽しむ」ということなのだった。仲間が煙草を吸いはじめると、わたしたちは、行き詰ったな、と察した。事実、そういう人は生き続けられなかった。
収容所の生活
それはわたしたちの移送団のほとんど、およそ九十パーセントにとっては死の宣告だった。それは時をおかずに執行された。(わたしから見て)左にやられた者は、プラットフォームのスロープから著⒦末津、焼却炉のある建物まで歩いていった。その建物には、ーそこで働かされていた人びとが教えてくれたのだがー「入浴施設」といろんなヨーロッパの言語で書かれた紙が貼ってあり、人びとはおのおのと石けんを持たされた。そしてなにが起こったか。それについては言わなくてもいいだろう。すでに数々の信頼できる報告によって明らかにされているとおりだ。
新入りは、往々にして便所掃除や糞尿の汲み取りを受け持つ作業グループに配属された。糞尿は、でこぼこの地面を運んでいくとき、しょっちゅう顔に跳ね返るが、ぎょっとしたり拭おうとしたりすれば、かならずカポーの一撃が飛んできた。労働者が「上品ぶる」のが気にさわったのだ。
表向きは一日に300グラムのパンと水のようなスープ。実際はもっと少ない。
人間は際限なく慣れる生き物
収容所暮らしでは、一度の歯を磨けなかったが歯茎は以前より健康になり、Tシャツは1枚のみで洗うこともできなかったのに傷口は化膿せず、どんな物音がしていてもぐっすり眠ることができた。
その男が熱をだしたからだ。それがゆうべのことだったので、期限内に(診療所で)熱を処置してもらうことも、病気を報告することもできなかったからだ。そして朝になって、所外労働に出なくて済むよう、病気届を出してもらおうと無駄な試みをしたために、今、罰を受けているのだ。ながめる被収容者はすでに心理学で言う、反応に第二段階にはいっており、目を逸らしたりしない。無関心に、なにも感じずにながめていられる。心に小波ひとつたてずに。
靴がなかったために、はだしで雪のなかに何時間も点呼で立たされた上に、一日じゅう所外労働につかなければならなかった。その足指は凍傷にかかり、診療所の医師は壊死して黒ずんだ足指をピンセットで付け根から抜いた。それを被収容者たちは平然をながめていた。嫌悪も恐怖も同情も憤りも、見つめる被収容者からはいっさい感じられなかった。苦しむ人間、病人、瀕死の人間、死者。これらはすべて、数週間を収容所で生きたものには見慣れた光景になってしまい、心が麻痺してしまったのだ。
収容所では毎日毎時理由もなく殴られたため、感情を失い、不感無覚であることは心を守るために必要な反応であった。
殴る価値もない
著者がほんの一瞬つるはしにもたれかかったところを監視兵に見られてしまった。
監視兵は、このなんとか人間の姿をとどめているだけの、尾羽打ち枯らし、ぼろをまとったやつ、彼の目に映ったわたしというやつを、わざわざ罵倒する値打ちのないとふんだ。そして、たわむれのように地面から石ころを拾いあげ、わたしに投げた。わたしは感じずにはいられなかった。こうやって動物の気をひくことがあるな、と。こうやって、家畜に「働く義務」を思い起こさせるのだ、罰をあたえるほどの気持ちのつながりなど、「これっぽっちも」もたない家畜に、と。
飢餓浮腫
脚はぱんぱんにふくれ、皮膚は膝が曲がらないほどに突っ張る。靴を履くためには靴下の厚みもはけない。靴には雪が入り凍傷に。うまく歩けないと列が将棋倒しになり、監視兵に銃床でなぐられる。
精神状態
収容所では幼稚な衝動が呼び戻され、最たるものが食欲だ。異常なほどに食に執着する。
一方で内面が深まる人間も一部存在した。
もともと精神生活という困難な生活という外的状況に苦しみながらも、精神にはそれほどダメージを受けないことがままあったのだ。そうした人びとには、おぞましい世界から遠ざかり、精神の自由の国、豊かな内面へと立ちもどる道が開けていた。繊細な日収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えたという逆説は、ここからしか説明できない。
愛
収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人も面影を精神力で呼びだすことにより、満たされることができるのだ。わたしは生まれて初めて理解した。天使は永久の栄光をかぎりない愛のまなざしにとらえているがゆえに至福である、という言葉の意味を。
自然の美しさ
収容所では自然を見ると生きる気力を保つことができる人間がいた。
夕日の光が見える瞬間は歩くこともままならない収容者にさえ、太陽を見に外にでろと声をかけた。
苦悩・喜びの大きさは関係ない
人間の苦悩や喜びは気体のようなもので大小に関わらず空間に目一杯広がる
わたしたちは、移送といえばガス室のあるマウトハウゼン行きだ、と恐れれていた。列車がドナウ川に架かる橋に近づくたびに、わたしたちは緊張した。同行の、収容所暮らしの長い仲間が断言するには、マウトハウゼンへは本線からはずれて橋を渡っていくのだという。護送車に詰め込まれた被収容者が、異相談は「ただ」ダッハウに向かっているだけだと気づいたときの、文字通り小躍りせんばかりの喜びは、このようなことを体験したことのない者にはとうてい想像できないだろう。
回避する幸運。シラミ
シラミ退治をしないと眠れない。
空襲警報がなって急にあかりが消え、シラミ退治ができなかったことなんてものにならなかったという回さえも喜ぶような状態だった。
静養
病気と認められた人間はベッドにぎゅうぎゅうになって静養し、作業現場に行かなくてよい。解放後に収容者でないものがそのひどい環境の写真をみたときに、ひどい環境だと言っても、著者はその意味が全く分からなかった。
ただ、一日中窮屈な場所で過ごし、通常より少ないパンと水のようなスープを待っていればいい状況の何がひどいのか全く分からないほどに感覚が麻痺していた。
独りの時間がほしい
常にぎゅうぎゅうの環境で過ごす収容所にいると、どうしても独りになりたい瞬間がある。
また、下水溝に通じる竪穴があって、木の蓋がしてあった。
病棟での医師の仕事が手が空くと、わたしはいつもそこに行って、いっとき腰をおろした。そこにうずくまり、いやおうなく視野をさえぎる鉄格子の縁飾り越しに、バイエルンの田舎の広々とした花咲く緑の牧草地や、青くかすむ遠い丘をながめたものだ。そして憧れを追い、愛する妻がいるとおぼしい北や東北の方向に思いを馳せるのだが、そこには不気味なかたちの雲が認められるだけだった。
人肉食
この男は「収容所警官」をしていたが、収容所最後の日々、死体の山から消えて鍋の中に出現した肉片に手を出したひとりだった……わたしは、あの収容所が地獄と化し、人肉食が始まる直前に、そこを逃れたのだった。
スープ椀
使われなくなった収容所に忍び込み物資を盗もうとしたとき、スープ椀は盗まなかった。収容所の末期にはスープ椀は洗面器にも夜間に用を足す為にも使われていたことを知っていたから。
どう振る舞うかは奪えない
収容所には思いやりの言葉をかけ、自分のパンを分け与える人間がいた。どんな状況にもそんな振る舞いをすることができる。
そんな人はほんのひと握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるのが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由は奪えない、実際にそのような例はあったということを証明するには充分だ。
生の価値
どんな生ににもどのような覚悟をするかで価値を持つことが出来る。
最期の瞬間までだれも奪うことのできない人間の精神的図祐は、彼が最期の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。
未来への希望、目的
苦悩は分析対象すれば苦悩ではなくなる場合がある。
「苦悩という情動は、それについて明晰判明に表明したとたん、苦悩であることをやめる」
『エチカ』第五部「知性の能力あるいは人間の自由について」
希望がなくなった瞬間に一気に免疫が落ちることがある。
クリスマスに家に帰れるかもという希望が喪失した瞬間、大量の死者がでた。
「なぜ生きるか知っている者たちは、どのように生きることにも耐える」
ニーチェ
経験
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」
サディスティック
現場監督や監視兵の中には暴力や相手の不幸を快感とするサディストがいた。
だが、この喜びを取りあげることことに快楽を覚える現場監督や監視兵がかならずいた。気分次第でだめだと言ったり、みごとに炎をあげている焚き付けのストーブを雪のなかにひっくり返すその表情からは、サディスティックな満足感がありありと読み取れた。
離人症・潜水病
収容所から解放されてもうれしさを感じることができなかった。
強度の離人症であった。
すべては非現実的で、不確かで、ただの夢のように感じられる。にわかには信じることができないのだ。ここ数年、頻繁に、あまりに頻繁に、わたしたちは夢に弄ばれすぎた。
あまりにも急に自由になったせいで、今の自由が本当に現実なのか感じれなくなっていた。
急な自由は精神的にかなり危険な状態に陥る。
潜函労働者が(異常に高い気圧の)潜函から急に出ると健康を害するように、精神的な圧迫から急に解放された人間も、場合によっては精神の健康を損ねるのだ。
まとめ
どんなに自由を奪われても、その環境で自分がどのように振る舞うかの自由を奪うことはできない。
他者を思う精神が生きる活力になる。
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