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23. 『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』

こんにちは!かわむらです。

今日は鈴木 涼美さんの『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい 』です。

建築家にも人間を喜ばす能力が必要だと感じました。

空間づくりにおいても、予算、納期、広さが限られるからこそ生まれるクリエイティブがあり、それは非常に価値があることだと感じます。

  • 作品情報
  • 書名:可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい
  • 著者:鈴木 涼美
  • 出版:東京ニュース通信社
  • 頁数:272ページ

2014年から2019年までのTV Bros.連載に加え、各雑誌やWebに掲載されたエッセイ・評論・書評などをまとめた、5年分の鈴木涼美コラム集。

男と女、芸能と大衆、慣習と衝動など、割り切れない現代社会の機微を的確に捉え、渋谷と歌舞伎町と研究室と新聞社を越境するなかで培った天然のフィールドワークから得た知見を綴った名コラムの数々。

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目次

目的

半田悠人さんのビジネスに良い本リストから選び購入しました。

リストの並びは仕事に役立ちそうな本ばかりだったが、この本だけ雰囲気が違って、こういう本も読んできたんだと思い、たぶんビジネス本ではないけど、「どんな本でも仕事に活かすことができる」そうなので、一見仕事に役立つことを目的に書かれていなさそうなこの本を選びました。

メモ

独特なリズムの文章で男女のリアルな人間関係を表現

私のカレシは34歳で多分25年くらい「時間にルーズなところを直しなさい」と言われ続け、それによる仕事機会の損失も幾度となく経験していて、もちろん私もこれまで付き合ってきた数十人の元カノたちも「今度遅刻したら別れる」位余裕で何度も言っているけれど、断固として変わってはくれない。男は、世の中の汚さにさらされようと、愛欲の汚さにさらされようと、変わってくれないものだからしょうがない。どうしてちょっとでも変わってくれないのよヒドイと思うけど、女だってなかなかヒドイ。お前は俺のちょっとオラオラな態度をカッコいいと思っていたくせに、なんでモラハラとか言うんだよ俺変わってないぜーと言う気持ちには察しがつきます。

この本は鈴木涼美さんの若かりしころの歌舞伎町での経験などを元に人間のリアルな気持ちが書かれていました。

彼女は中学3年生に上がると同時にパワーキャロットのPHSを購入し、Pメールというカタカナ20文字以内でしかやりとりできないもので、友達を限られた文字数でやりとりをしまくっていたみたい。

句点がなかなか出てこないテンポの良い文章

そんな風にして、勿論語彙力が培われるし、送信をポチっと押す前には自分の書いた文を確認して、いやなんかやっぱりちょっとこの言い回しは必要以上に感じ悪いかな、とか、ちょっと緊張するけど、文字数も減らせるし「くん」付けやめちゃおう、とか、この溢れんばかりの好きと言う気持ちを伝えるには、やっぱり副詞を足しとこう、とか言う思慮深さがそこにはあったのであって、その書いては決して書いては消しの作業は、やっぱり女子のいじらしさみたいなものを具体的に体現していたような気がする。「メールは返さない」と歌った松浦亜弥だって、おそらく「返さない」と言う判断の前に何度も何度も送らないメールを打ち込んだはずなのである。

句点がなかなか出てこないテンポの良い文章が面白い。

表には出てこない女子の気持ちを代弁

女子には2通りの人種がおります。いや、正確に言うと、もっと人種はいるんだけど、それなりにかわいい東京ガールも、2種類に分けられます。流行やおしゃれに敏感で、話題のレストランがあればチェックし、流行の歌を歌いながら、代官山や表参道を闊歩するタイプ。もう一方は、かろうじてソトミはオシャレピーポーぶってはいても、流行の店にわざわざ交通費払って行くよりも家で漫画読んでいたり、代官山のクラブより歌舞伎町で飲んでいたり、青山のイタリアンで牛タン「ねぎし」に行きたかったりするタイプ。当然、私は後者だし、このエセ可愛いガールは、実は結構多いのであります。

何の話かって、冬は黙ってもつ鍋連れてけよ、ってことだ。

こういうリアルな人間の気持ちってなかなか表に出てこないけど、この本では表には出てこない気持ちが少しすることができる気がします。

建築家にはこういった人間を喜ばす能力が必要だと感じました。

不便だから生まれる素敵な感情がある

昔の歌の歌詞には意味が訳わからないようなものが多かったことを指摘し、意味を求めすぎる弊害が現代には表れているという。
(例 都会のビルの谷間の風を強気で明日に向かせて走るよ こんなに夜が 長いものとは 想ってもみない程寂しい

私の7個下の妹分は、私のニットについてる飾りボタンにまでこれ何のためにあるの?」と意味を求める。アマゾンのせいで小規模な都市では、まともな本屋がないことも増えたし、ファストパスのせいでディズニーランドで仲を深めると言うカップルの儀式もなくなりつつある。理にかなうと言うことを追求すると、大抵ろくなことなどないのだ。おそらく、物事の判断基準が嘘くさい、道徳に偏りがちなのも、クレームと謝罪訂正がほとんど挨拶のように横行しているのも、意味を追求することで、直面する根拠なき価値の問題を皆が放棄した結果だと私は持っている。

便利なものを追求すぎることはやはりよくないなと。
制限があるときにしか生まれないこともあるし、それって本当の意味で楽しいことだと思う。

空間づくりにおいても、予算、納期、広さが限られるからこそ生まれるクリエイティブがあり、それは非常に価値があることだと感じます。

若い頃なんて不安定でしょうがなくてもよい

やたらと物事を相対化し、やたらと合理性を重視する輩が溢れるこの街にTK的思想が再び息を吹き替えしているのは、極めて重要な啓蒙になり得る。20歳あそこら人生のモチベーション身に付いたら気分を開けるだけだし、人間の頭には合理的になりすぎないために、物忘れなどの都合の良い機能が初期設定されている。今こそボディフィールズエグジットして、泣きたくなるほど惨めなゲームで、人生、はじめてのとびきりのBAD TRIPを許すくらいには、正しさから離れた無意味な時間を取り戻した方が良い。

心が不安定な人でもいいんだというようなメッセージが多い。

TK的思想とかBAD TRIPとのは、それまでの文章で出てきた内容を踏まえて、その言葉を文章に織り込んでいる感じです。
30代くらいの人はこの文章だけで何のことを言っているか分かるのではないのでしょうか。

テンポがよく、句点の少ない文章を書きながら以下の文章があって、すごい言葉やなと思いました↓

座間9遺体事件の容疑者がスカウトなんてやってたせいで、最近会う人によく「鈴木さんの知ってる人?」って聞かれるんで、まとめて答えておくと、しれません。ただ、スカウトマンの知り合いは多いし、人種としてスカウトマンのことが好きです。なぜって、普通の女の子だってアイドルやモデル位はいろいろ悩みや相談や慰めて欲しいことがあるけど、普通の女の子にはマネージャーがいないからです。20代の女の子なんて、前から抱っこされて、後から抱っこされて、初めてに2足歩行できる位不安定な生き物なのに、20代の男の子は大抵前から抱っこするので精一杯で、だから彼氏ではない何か別の存在が、街で気軽に捕まえられるというのはとても心強いことなわけです。

「20代の女の子なんて、前から抱っこされて、後から抱っこされて、初めてに2足歩行できる位不安定な生き物なのに」
印象的だった一節。

女だって、タクシーの運転手さんと、運転中の彼氏の横顔は、移動させてくれると言うイミでは、同じことをしていても、全然イもともとは同じ女の子だったなんて言う風には全く思っちゃいない。だから、会社の後輩がデリヘルで働いてた!!とか、娘がラブホで補導された!!とか、元カノがAV出た!!とか言うことが起こると、パニックを起こし、怒ったり、泣いたりして、そのジャンル超えを責め、あるいは世にも奇妙な出来事のように課長に興味を示す。端になった本、彼女が「女として見てくれなくなった」と嘆くのも、大体そんな男の性質に原因がある気がします。

現代の若者はこの辺の感覚は結構ちゃんと持っていると思う。

外身と中身は全然同じじゃないこともあるし、ジャンルは全く違っても中身は同じだなと思う人たちもいる。

別に男のジャンル分け主義を責めはしないけど、彼女の浮気は、自分のそれのようなものではなく、いつでも自分が取って代わられる危険があるのは知っています。

人生はごっこ遊びの連続

人生はごっこ遊びの連続じゃないかと↓

ただ、ごっこ遊びはごっこ遊びだけで、永遠に続きはしないので、彼らの親子ごっこもまた終わりが来る。小さい頃のままごとが毎回どんなエンディングを迎えていたかなんて覚えていないが、いつの間にか「お母さん」は、私に、「赤ちゃん」は人形に、「お姉ちゃん」は、同じマンションに住むエミリちゃんに戻っていた。終わりがあるのがごっこで、終わりなき日常が人生なのだと思言えるけど、そうしたらリアルの結婚生活だって離別や死別で終わることあるし、そう考えると、結婚も、子育てもごっこ遊びとそれほど違わないんじゃないかと、やっぱり終わりある細かいごっこ遊びをつなぎ合わせた物、人生と呼ぶんじゃないかと、何度も繰り返した自分の恋人ごっこ、夫婦ごっこを正当化するようなことが思いつく、冬の始まりでありました。

ごっこ遊びの連続が人生なら、その遊びをいかに楽しくするかに力を注げばいいんじゃないかと思いました。

遊びと思えないような頑張りや努力はしなくていいし、大した効果も役立つこともないんじゃないかと思う。

女子マネ最強

彼女は人生にはいろんな選択肢があるけど、無意識のところでいくつかの選択肢は排除されるようになっていて例えば、部活の女子マネになるなんてことは彼女の人生のコインの表にも裏にはなかったみたい。

自分の人生にはなかった女子マネという人種について以下のように記しています。

目先の損得を考えず、一歩でも二歩でも聴きながら、前時代的だとか言うリベラル、おばさんの叱責にも負けず、フェミにもおもねず、現金を要求することもなく、もしかしたら人生の勝ちをいち早くつかんでいるのだとしたら、それは例えば16歳の時点で持っていた先見の明でも、美徳でも哲学でも何でもいいけど、それが私たちよりずっと優れていたことになる。しかし悩んで捨ててすらいないその選択肢を見つけられなかった私たちは一体いつまで遡れば女として初期不良が見えてくるのでしょうか。嗚呼やっぱり女子マネ。女子マネ最強説

ちなみに彼女の周りには女子マネ人種はいないらしい。

どんな人を愛せば幸せになれるのか

洋画の恋愛にはイケメンクズ男と雑魚で最終的に雑魚の魅力に気づき、愛するようになる。日本のドラマは雑魚に支えられながらもクズが心を開いてくれて愛してくれるという話が多い。
例 ストロボエッジ、今日、恋をはじめます、天使なんかじゃない

しかし、現実と照らし合わせてみると、映画とドラマのパターンもまた超ファンタジーであって、現実では、そんな、トンネルを抜けると、そこは雪国だった的に、雑魚を選んだ瞬間に、パーッとした幸福の景色が訪れるものではなく、もっとゆっくりに、静かに、事後的に、あるいは結果的に柔らかい幸福の光景が訪れるものらしい。ただ、映画やドラマはドラマチックをそこまでがく時間もないし、その部分は文字通り、静かで地味だから、そのゆっくりを光速で省略して、雑魚を愛する幸福というのをもっと突然圧倒的に訪れるもののように描いているのだろう。そしてその光速省略を理解している女は、雑魚との時間を慈ながら、後悔はせず幸福を掴み、幸福の圧倒的な感じをけなげに信じる女は、クズでは幸福になれないと知りながらも、雑魚に抱かれた時に全然訪れてこない。圧倒的な幸福をいつか手に入るものだと夢見て後悔を繰り返す。と言うような自分勝手な分析で、友人を分類したり、男をクズと雑魚にきれいに分けたり、映画の一気見をしてわかったような気になったりしている。私が今でも後悔を繰り返しているので、やっぱりこの法則には説得力がない。

その他

21歳で、ほとんど半裸で「愛の生活」を読み終えた。私は金美恵子になれなかった。しかし、なれないこと自体を楽しめるような作家が、この世に存在すると言うだけで、私には十分に描いたり思ったりするモチベーションになるのだ。

2010年に大阪で若き母親の育児放棄により二児が餓死したと言う時点を自分がどのようにしてしまったのか、よく覚えている。報道の中で繰り返される風俗店、ホストクラブと言う単語は、長い期間、夜の世界に逃げ込んできた私にとって、あまりに身近にあるものだった。夜職時代の友人たちとの話題に事件が上ったこともあるが、私たちは、やばいね、怖いよね、ほとんど意味のない感想、漏らすくらいで、多くを語らなかった。どこか自分の近いところで、そんなことが起きるかもしれない、ギリギリのところで、自分は助かったのかもしれないと言うわずかな予感の言葉を拒絶するほど、事件が幼き命にした結果は悲惨だったのがあった。前年に、夜職を辞め、同年代から少し遅れて新聞社に就職した。私は昨夜まで自分が住んでいたマンションが爆撃されたような感覚に少し。

夜の世界でのホストとオンナの関係から、こう語っている。

女の好きの感情に男は関係ない

結局、多くの人が勘違いするイケメンとモテと幸福や成功の順序がそこにあるのだ。イケメンであることで、突破口が開き、モテとしての技術が女を手繰り寄せる。それでもそこからの関係性については、もともと女の中にあるものが、付き合いの中で良い方向に転がって工夫や成功に変わっていくだけで、案外男は不在だったりする。そしてイケメンであることや、モテが偶発的だというのは、つまり全く逆であって、イケメンは女の何かへの興味を作り上げる産物であるし、モテは努力と営業の産物である。偶発的なのは、自分の手元のオンナがどう育つかであって、そこは男が良い男であろうと技術に長けていいよとあまり関係ない。出会いの方がよほど作為的で、その後の物語こそ偶発的なのだ。ちなみに女はお砂糖とスパイスと悪意でできている

つけまやエクステと現代のSNS社会について

リアルとバーチャルの境目がほとんど見えない日常があるからこそ、ある人は、写真加工と現実のギャップを細かくつき、ある人はヤラセとアクシデントの境目を炙り出して、さらすことに躍起になる。しかし、目の前であたかも生々しい、実存です、と言う顔して座っている女性が、所詮、顔の真ん中、まつげの先に、フィクション乗せた存在であるとしたら、そのようなリアルとバーチャルどの神経質な境目に、いつまでとらわれる必要があるのか、いささか疑問を感じる。

まとめ

若い女性が読んでもいいし、男が読んでも女性の本音が少しでも知れる点で面白いし、30代以上の人も若かりし頃を懐かしむように楽しめる作品だと思いました。

歌舞伎町の構造について知ることができたのも面白かった。

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